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インド早わかり情報

I. インド概要 2011年の国勢調査結果内容をベースに記載しております。

正式名称: インド共和国 ※28の州と7の連邦直轄地で構成
国 土: 328万7,263平方キロメートル ※日本国土のおよそ8.7倍
人 口: 12億1,019万人 / NRI(Non-Resident Indian)は3000万人以上
宗 教: 82.7% : ヒンドゥー教 / 11.2% :イスラム教 / 2.6 % :キリスト教 / 0.5 % :その他(シーク教、仏教、ジャイナ教等)
公用語: ヒンディー語(連邦公用語)、英語(準公用語) ※少数民族が多く言語総数は1000~2000
政治体制:

世界最大の民主主義国家

・議員内閣制を採用。 上院を「ラジャ・サバ」/下院を「ロク・サバ」と呼ぶ。

・国家元首は大統領であるが、実権はない。

・行政の最高指導者は首相である。

主要な産業: 農業、工業、鉱業、IT産業
GDP: 1,592,674,000,000ドル(1ドル=80円換算した場合、約130兆円) 
/ GDP成長率 8.6%
日系企業進出状況: 企業数:約1000社 ※在留日本人は、5000人程度
(アメリカ:30万/バンコク:6~7万人)

II. インド歴史(略史)

 紀元前2300年から前2000年に最盛期を迎えたインダス文明に代表される先史時代を経て、インド亜大陸には紀元前1500年頃にアーリア人が来往した。紀元前600年頃になると各地に都市が興り、有力諸国が互いに争うようになった。マガダ国から興ったマウリヤ朝がインド史上初めてガンジス川とインダス川の両方にまたがる統一帝国を成し遂げるのは、前4世紀末のことである。

 前180年頃のマウリヤ朝の滅亡から紀元320年頃のグプタ朝の成立にいたる約500年間は、異民族の侵入が続く不安定な時代であったが、同時に都市の商業活動が盛んになり、文化的にも飛躍的な発展を遂げた。

 550年頃のグプタ朝滅亡後、約550年間にわたり北インドは群雄割拠の分裂状態であったが、12世紀初頭からトルコ系イスラム教勢力が侵入し、13世紀初めにはインド最初のムスリムによる王朝がデリーに成立する。14世紀には南インドにまで支配権を及ぼすが、その後弱体化し、再びインド亜大陸各地にイスラム、ヒンドゥー教を奉ずる諸王国が独立した。

 16世紀に入ると、アフガニスタンから南下したイスラム勢力がデリーにムガル帝国を建国した。同国が18世紀に入って分裂・衰退し始めると、前後して外国勢力のインド進出が増大した。フランスとイギリスが覇権を争ったが、18世紀半ばにはイギリスが植民地支配の足場を固め、ムガル帝国衰退期をとらえて勢力を拡大し、1857年のセポイの反乱を契機としてインドを直接の支配下に置いた。現在のインドの行政制度に直接つながる基礎は、この英国統治時代にもたらされたものである。

 19世紀後半になると、インドの帝国主義的な植民地支配に対する反英抗争が起こり、その中で1885年に誕生したインド国民会議派(コングレス党)は、インド各地で展開された反英独立抗争の中心的役割を果たした。ヒンドゥー教徒を主体とする国民会議派のナショナリズム的な運動に少数派としての不安を抱いたイスラム教徒の有力者たちは、全インド・ムスリム同盟を組織し、一時は国民会議派と共闘したが、後にイスラム教徒の国家パキスタンの建設を目標に掲げるに至った。 第二次世界大戦後、イギリスは労働党内閣の下でインド独立の準備を進めたが、分離独立を主張するムスリム連盟と、これに反対して統一インドの独立を求める国民会議派の対立が激化し、イギリスの調停は難航した。結局、1947年8月にインド(15日独立)とその東西の両部分からなるパキスタン(14日独立)が誕生することとなったのである。

 このように、有史以来長期間にわたって多様な民族が往来した結果、文化・言語・宗教などの面で非常に複雑な国家構成になっていることは、インドの国家統治制度に重大な影響を与えている。多様な民族を束ね、国家を統一するためのほぼ唯一の道具として機能しているのが強力な民主制であり、世界最大の民主主義国家となっている。


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